■2022年10月「かけがえのないあなたへ」事務局 永瀬良子

■2022年8月「奨学金等の目的とは」理事 山田修

■2022年3月「ひとりひとりのために祈る」日本聖公会北海道教区主教 笹森田鶴

■2021年12月「毎日がクリスマス」日本聖公会東京教区 主教 髙橋宏幸

2021年9月「響き合う愛」理事 司祭 神﨑雄二

2021年6月「アイヌ、屯田兵、技能実習生、そして日本人」理事 鈴木幸夫

2021年3月「真の多様性が求められる時代に」理事長 牧野兼三

2020年12月「暗闇の中、与えられた光」北海道教区主教 植松誠

2020年9月「共にいる存在、カパティラン」理事 山﨑常城

2020年3月「私たちには見えていない複雑な世界」理事長 牧野兼三

2019年12月「クリスマスの出来事」理事 司祭マリア・グレイス笹森田鶴

2019年10月「アイデンティティーの深まり」理事 司祭神﨑雄二

2019年6月「奨学金返済と自己破産」理事 山田修司

2019年3月 「多文化共生の世界にあって」 理事長 牧野兼三

2019年2月 「多文化共生ホームステイ」ご支援のお願い 理事長 牧野兼三

2018年12月 「愛と交わりが伴うとき」 理事 司祭ヨハネ神﨑雄二

2018年9月 「2018年夏、野尻湖」 理事長 牧野兼三

2018年7月 「給付型奨学金への思い」 理事 鈴木幸夫

2018年5月 「学校に行くことはお金が掛かる」 理事 司祭マリア・グレイス笹森田鶴

2017年12月    「2017年のクリスマスキャロル」 理事長 牧野兼三

2017年6月 「カパティランの根」 理事 司祭ヨハネ神﨑雄二

2018年3月 「巣立ち」 理事長 牧野兼三

2016年7月 「カパティランの働きはつながる」 理事 牧野兼三

■2022年10月 事務局 永瀬良子

電話の向こうの声は、ある時は震えていたし、ある時は私の名前を呼んだまま、沈黙が続いた。話し始めようと息を吸う音が何度も聞こえてくる。吐く息がまた嗚咽とともに荒くなる。話し始めるタイミングをじっと待っている間、こちらもそっと深呼吸をする。

カパティランに連なる若者は複雑な家庭環境や生活環境に置かれ、ありとあらゆる問題がすぐそばに渦巻いている。どのタイミングでその渦に巻き込まれるのかは、分からない。避けては通れないことも多い。抱える問題はとても複雑で、深刻で、簡単に解決できるものなど、一つもない。

大人の目線で、あれこれ指示を出すことはしない。状況を確認しながら話を聞いていくと、どうするか、どうしたいか、必ず答えを自分自身の中から探し出してくる。失敗しながら、方向転換をしながら、一つ一つクリアにしていく。そのプロセスを黙って見守る。本人が考え、選んだ道を進むことが「生きていくこと」だと思う。

ある学生から連絡があった。「嘘をついていました。もう嘘はつきたくない。こんな自分を変えたい。」嘘をつかなければ、生きてこられなかった状況の中で、正直でありたいと涙を流した。

信じられない、でも信じたい、孤独になりたくない、愛されたい。一緒に時間を重ねていくと、見栄や壁が少しずつなくなっていく。本当の感情を吐き出すタイミングがくる。素直に自分の心をさらけ出すことができた時、大きな一歩を踏み出している気がする。

傷ついてほしくない、と心の底から思う。でも、傷ついた時に相談できる相手でありたい。失敗しても、自分を嫌いになっても、「聞いて」「たすけて」と言える人であってほしい。どんなことがあっても、一緒に考えよう。目の前にいるあなたの、生きる力を信じて、祈っている。

4月からまた、新しい12名の学生と出会った。この世界にたった一人のかけがえのないあなたと、これからどんな時間を共にできるだろう。あなたの声が聴きたくて、今日も耳を澄ませている。

■2022年8月 理事 山田修司

先日、奨学金を支給する団体と奨学金の支払いを滞納していた方との話し合いの場にいたのですが、滞納の事情を一切理解しようとせず、頭ごなしに滞納者は悪であると言い張るその団体の担当の物言いに不快感を覚えました。債権回収に力を入れている今の日本の奨学金事業は、そもそも奨学金支給の目的を理解していないのではないかと思ってしまいます。

さて、6月上旬にカパティランの奨学生の選考も終わり、継続、新規の大学生7名、高校生5名が新たにカパティランの奨学生になりました。

今回の面接においては、これまでの奨学生にはいなかった国をルーツに持つ学生の話が印象的でした。その学生は、グアテマラをルーツに持つのですが、面接時グアテマラの男女差別についての話になり、男性は学校に行き、女性は家事手伝いをしていればいいというような、男性らしさ、女性らしさなど性別による役割分担をする考え方が根強く残っているとのことでした。なお、ジェンダーバイアスによる問題点は、せっかくのその人個人の個性や能力が尊重されず、生かされないことになる等と指摘されています。また、特に15歳未満の女性が住み込みで働く児童労働が今でもあり、そのため、しっかりとした教育を受ける環境にないとのことでした。教育があらゆる問題を解決するわけではありませんが、多くの可能性を閉ざしているのは間違いありません。

世界には、児童労働や貧困問題、男女差別など、何重もの障壁により、個人の可能性が閉ざされた状況に置かれた若者が多くいます。この問題解決には多くの人の協力が必要ですが、冒頭の奨学金の回収の話ではないですが、少なくとも、若者の支援に関わるのであれば、その目的を忘れず、本当に必要な支援をして頂きたいと思います。

今回も学生たちとの面接を通して、その支援の意味を再度考えさせて頂きました。本年度は、夏のキャンプは開催中止になってしまいましたが、奨学生たちが集まって開催するごはん会も再開し始めています。まだまだ新型コロナの影響は収まりませんが、みなさんと直接会える機会も増え、いろいろなことを教えてもらえると期待しています。そのような彼らを支えるため引き続きご支援をお願いいたします。

■2022年3月 日本聖公会北海道教区主教 笹森田鶴

しだいに春らしい季節になり、木々が芽吹き花々が咲き始め、気温の上昇とともに体が冬の緊張からほぐれていきます。春はそのような穏やかな季節である一方で、日本の年度が4月から始まるために出会いと別れの季節とも言われています。それはカパティランでも同様です。3月末で高校や大学を卒業していく方々との別れ、また新しい年度に奨学金を申請して今年度の奨学生となる方々との出会いです。たくさんの外国にルーツを持つ若い世代の方々がカパティランとつながってきました。

2年以上も続くコロナ禍によってしばらくカパティランの活動は主にネットでの対面となっていたこともあり、わたしなどは理事であっても直接お会いできた奨学生はほぼ皆無でした。けれどもカパティランのスタッフや理事たちは、どのような社会情勢であろうとカパティランとつながっている方々のために祈り、可能な支援の実施に心を砕いてきました。ことに奨学生やそのご家族へのスタッフの心配りは、このような表の場にはなかなか現れないものの、理事として大変誇りに感じる献身だと感謝しています。1988年にカパティランの活動が開始されてから、具体的な支援の方法や対象が変化しても、カパティランの方針は変わらずにきたことが丁寧な関係の中での支援継続を可能にしてきたと考えております。その方針とは、目の前の人が自分の人生を選び取っていくことを素朴に支援していくという関わり方です。

カパティランを通しての若い世代の方々との交わりは、日本での生活の「常識的な」視点の変革を余儀なくされます。そして支援団体にできることは本当に微力であることを知らされ、生き抜こうとする一人の若者の人生に圧倒され、その周りでうろたえながら必死にできることを探しています。画一的なものを求める力が支配している日本の地において、多様な背景を持つ奨学生の一人ひとりの生きる力こそ社会にとって大切となることを願いつつ活動しています。そしてカパティランの理事会は毎回この若者たちのために祈り続けてきました。他者のために祈ることは、その人の人生に関わることだからです。

皆さまが支援してくださっている一人ひとりの奨学生のために、ぜひ祈っていただければ幸いに存じます。そして引き続きその祈りを込めたカパティランへのご支援を賜りますよう心よりお願い申し上げます。この度理事の職務から離れますが、わたしもこれからも祈り続けてまいります。

 

■2021年12月 日本聖公会東京教区主教 髙橋宏幸

子どもの頃、サンタクロースが待ち遠しいものでしたが、「でも、家には煙突がないのに?」「何で欲しいものが分かるのだろう?」「どうやって一晩で世界中を駆け巡ることができるのだろう?」と不思議でした。今は、赤い服を着、白い髭を生やし、橇に乗って来るサンタクロースがいるかは分かりませんが、そのような身なりのサンタクロースがいるかどうかより、誰もがサンタクロースになることができると信じています。そのヒントをくれたのがタイで作られたコマーシャルでした。

タイは世界有数の仏教国で、徳を積むこと、見返りを求めないことを大切にするという素晴らしい教えがあります。コマーシャルは、ある店で薬と栄養ドリンクを万引きした貧しい身なりの少年が、女性店主から問い詰められている場面から始まります。幼い子どもが薬や栄養ドリンクを万引きする場面に違和感を持ちましたが、少年の母親は病気で、その母にあげたい一心で盗んでしまったことが判明します。やりとりを見ていた向かいの食堂の主人は、少年が盗んだ商品の代金を支払い、野菜スープを持たせて少年を母の元へ送り返します。

時は過ぎ三十年後、その店主が仕事中に意識が戻らない程の大怪我をし、入院生活を余儀なくされ、更に運の悪いことに莫大な費用がかかり、娘は店を売り払う決意をします。ところが、ある日、父の看病に疲れベッドサイドで寝込んでしまった娘の元に「治療費明細書」が置かれており、請求書の請求総額は「0バーツ」となっていました。さらに添え書きがありました。「すべての費用は30年前に支払い済み。三つの鎮痛剤、一袋の野菜スープによって」「最善を尽くします」と。

その担当医は、あの時盗みを働いた少年でした。最後に「Giving is the best Communication」という字幕が流れてコマーシャルは終わります。私訳になりますが、「与えること、与え合うことは最も素晴らしく美しいコミュニケーション、即ち命の繋がり、命の支え合いである」と。

手を握ってあげる、背中をさすってあげる、話を一生懸命に聴いてあげるだけでも、心が伴えば伝わるはずです。そして、誰もが本当のサンタクロースになることができるのではと。

イエス様のご生涯は、クリスマスという「神様の命の出来事」から始まりました。クリスマスは昔の出来事ではなく、今の命を見つめることへの招きであり、毎日がクリスマスであるべきと言えましょう。

■2021年9月

「響き合う愛」理事 司祭 神﨑雄二

私は、40年以上前に、フィリピン聖公会のマニラ大聖堂で司祭按手を受けた。以来何度フィリピン各地を巡ったことか。行く先々で、まるで神の遣いか何かの様に受け入れていただいた。

ルソン島北部の山岳地にあるバルバラサン村に行った時、村人百人余りが、村唯一の聖公会のハイスクールに集まり、拍手をして出迎えてくださった。その時、急に涙があふれ出た。

その村では、元村長のマガワン氏の家に滞在した。不思議な事に、現地語はおろか英語も満足にしゃべれない私にも関わらず、意思疎通に何の不自由も無かった。何でも分かり合えたのだった。そればかりか、喉が渇いたと思うと、すっと水やコーヒーが出てくるし、「少し寒いな」と思うと、かまどで煮炊きしているお母さんの所へ、子どもが黙って連れて行ってくれるのだった。

村には電気も水道も通っていなかったが、少しも貧しくはなく、自給自足的な生活のゆえに、むしろ豊かさを思った。それに何よりも、人が優しく、愛に満ちていた。

「バルバラサンへ、カパティランに集う学生たちを連れていきたい!」と思った。フィリピンにルーツがある学生でも、フィリピンにはほとんど行ったことがない。そしてフィリピンについては、否定的なものの見方をする事が多い。日本に於ける生活が、そういう傾向を助長するのだと思う。

しかし私は、野尻湖畔でのサマーキャンプを通し、あの子たちが、バルバラサン村の人々と同質の愛を宿しているのを見ている。だからもし、あの子たちが、村人と交わると、双方の愛が響き合うと思った。

実際に行ってみて、村人の愛とあの子たちの心根に宿る愛が、みごとに響き合うのを見た。その体験は今後のあの子たちの成長に欠かすことのできない財産となるであろう。よって、コロナ騒動が終われば、何としてもこの試みを再現したい。

 

■2021年6月

「アイヌ、屯田兵、技能実習生、そして日本人」

理事 鈴木幸夫

私事で恐縮だが、北海道に戻って2年近くが過ぎた。いまさらながら見えてきたことがある。

この大地には、さまざまな人々が住んでいる。北海道が蝦夷(エゾ)と呼ばれていた時代以前から、ここはアイヌ民族の大地だった。サハリンや千島、東北地方にも住み、狩猟・漁労や採取を糧とし、それぞれの地域ごとに独自の文化を育んできた。ロシア、中国、日本と交易するため、ダイナミックに活動する海の民でもあった。

鎌倉時代以降、日本人が支配と収奪を強め、幕末・明治維新期に日本に編入された。事実上の植民地化である。日本人とされたアイヌの人々は「(旧)土人」と称される一方、言語や生活文化を奪われ、さまざまな差別や収奪を受け、「アイヌである」と自ら名乗り難い状況にも追い込まれた。辛く悲しい歴史であり、差別は現在も続く。先の日本テレビの報道番組での差別発言、法務省が「アイヌへの差別をなくそう」という呼びかけをしていることにも表れている通りだ。

一方、戊辰戦争で朝敵とされた人々やさまざまな日本人が、開拓民として大勢やってきた。決して支配層でも裕福な人々でもない。筆舌に尽くしがたい苦労をして原野を田畑に変え、牧畜を導入し、商いを行い、街を作り、極寒の環境に耐えて暮らしてきた。

そうした悲哀と苦闘のダブルトラックともいえる歴史の延長線上に、今の北海道がある。

その大地に、新たな他者であり隣人でもある人々が増えている。「技能実習生」を代表とする在日外国人で、その急激な増加は2009年の入管法改正が契機になっている。

農業や工業などの技能を学び、それを祖国で生かすという名目。労働力不足に悩む日本と、経済発展や仕送りを望む途上国との利害が合致した政策。特に人口減少に悩む地方では働き手の確保は切迫した事態で、その後の法改正で別の在留資格も増え、今後のさらなる改正によりもっと多くの「働き手」が日本にやってくる。

心配も多い。日本の入管制度の実態が、お世辞にも人権尊重と言えない状況であることだ。受け入れ先や待遇の問題もある。日本社会に、アジア系民族に対する差別・優越意識が残っているのも、否定しえない事実であろう。

いま、社会にSDGs(=持続可能な開発目標)の理念が浸透しつつあり、あらゆる組織の在り方や行動がこれを尊重すべきとされている。「誰も取り残さない」が基本理念。17の具体的目標には「貧困」「飢餓」をなくし、全ての人が質の高い「教育」を受け、人間らしい「雇用」環境を、という項目も含まれる。

わけでも「不平等」をなくす、という目標には、アイヌ民族の差別をなくし、先住民族としてその生活・文化を回復することも、在日外国人が自国民と等しい生活が送れるようにすることも、含まれるはずだ。

北海道には4万人の在日外国人、うち1万2千人にのぼる技能実習生が住む。アイヌ人の統計上の数は1万3千人である。

アイヌ人も、外国人も、屯田兵の末裔も、私のような自称「後天性道産子」も、みんながお互いの生活や文化、考え方を理解し尊重して、差別のない大地にしたい。それにどうすれば近づけるか、考えている。

ーTIMES.No.34号よりー

■2021年3

「真の多様性が求められる時代に」

2000年には、世界の11%を占めていた日本市場の消費額は、現在5%にまで低下しています。また、この先の2050年の予測では、日本はわずか2%になるというシミュレーションもあります。つまり日本経済の世界における影響力は50年で5分の1まで低下するとういうことです。どの町でも見かける100円ショップが、渋谷の一等地に大規模店を出店するといいます。大卒初任給はこの10年間、ほとんど上がっていません。私たちが日ごろ感じている以上に、この国における経済発展は停滞しています。

一方で、欧米のグローバル企業は、こうした世界的な市場変化に対応し、自国市場にこだわらず、市場の成長率が高い中国、インド、アセアン地域に柔軟な経営資源の投資を行なっています。その際、様々な市場の変化に対応するために、まず変わらねばならないのは、企業自身です。なぜなら、そうした企業に対して機関投資家が着目しているのが、多様性に対する取り組みだからです。多様性とは、経営陣や従業員の国籍はもちろん、性別、年齢、性的指向、宗教、人種についてまで、様々なものが当てはまります。

アップルやグーグルを生んだ、アメリカシリコンバレーは、1960年代に西海岸のカウンターカルチャーであったヒッピー文化に原点があるという説があります。反戦や公民権運動、男女平等、ロックンロール、ドラッグ、ゲイカルチャー、人種や各種差別の廃止など多様な価値観の尊重を主張したヒッピー文化があったからこそ、既成概念を打ち壊し、個人の自由を解放するパソコンやインターネットが生まれたのだという考えです。多様性を尊重するということは、もはやマイノリティに対する単純な慈善活動ではなく、イノベーションを生み出すための一つの戦略なのだと、世界の価値観が変わりつつあります。

さて、この春カパティランからは、新たに5人の若者が社会に向けて旅立とうとしています。大学卒業生は、地元の市役所職員、ITコンサルタント、公認会計士を目指し、高校卒業生は、空港のグランドスタッフ、映画俳優を目指します。目標はそれぞれ違っていても、それぞれの旅立ちの言葉からは、彼ら彼女らがカパティランで得られた様々な気づきと、多様なルーツと境遇を持つ仲間や、ホームステイを通じて得られた成長の喜びが伝わってきます。普通の学生生活だけでは考えもしなかった、多様性を知るという経験を通じて、誰もが皆、どこに出しても恥ずかしくない、立派な若者に成長してくれています。そして何物にも代えがたい私たちの喜びは、皆が口を揃えて、将来は自分もまた同じ境遇にある学生たちを支える立場となりたい、多文化共生のために役立つ人間になりたいと思ってくれていることです。この先、彼ら彼女らには社会という大きな荒波の中、理想と現実のギャップに悩み苦しむ毎日が待っているのかもしれません。それでも、その荒波をさらに乗り越えて、真の多様性が求められる社会にあって、自らの経験をもとに、彼ら、彼女らがリーダーとして活躍できる日が来ることを願ってやみません。そして、ここまで卒業までの間、継続的にご支援をいただいた支援者のみなさまに、改めて心から感謝を申し上げます。みなさまに支えられて、若者たちの未来が拓けています。

■2020年12

「暗闇の中、与えられた光」北海道教区主教 植松誠

クリスマスというと「きよし、この夜、星は光り」の賛美歌にある美しい星空の下に浮かび上がる小さな馬小屋を思い浮かべます。羊やろばの鳴き声がかすかに聞こえる静かな空間。平和そうに見えます。でも、現実はどうだったでしょうか。マリアには何の選択肢もなく、どうすることもできずに、ただ、何の準備もない干し草の上で子どもを産まなければならなかったのです。お湯もない、灯りもない、泣きたくなるような暗闇の中でマリアは赤ん坊を産みます。「あなたは身ごもって男の子を産む。その子は偉大な人となり、いと高き方の子と言われる」という天使のお告げがあってからずっと、マリアはこの日のことを思いめぐらしていたことでしょう。その言葉を信じていながらも、このような馬小屋でそのときを迎える・・・、どんなに不安だったことでしょう。そのような恐れと不安の中で赤ん坊は生まれます。命そのものの姿である赤ん坊のぬくもりに、ヨセフもマリアもようやく喜びというものを感じたことでしょう。赤ん坊の存在は不思議です。私たちも電車の中やエレベーターの中で赤ん坊を見ると思わず微笑んでしまいます。そして、その赤ん坊が笑ったりしてくれると、嬉しくてたまらなくなります。赤ん坊自身は何も意識していないのに、まわりに平和が行き渡ります。

クリスマスは神様と人間との間に真の平和が与えられる日でもありました。真っ暗闇の汚れた馬小屋の中には疲れきったヨセフとマリア、みずぼらしいなりをした羊飼いたち・・・。その、混沌とした空間に赤ん坊としてこられたイエス様がおられたのです。その存在はまさに光でした。不安にさいなまれたマリアにとってもヨセフにとっても、希望が感じられました。羊飼いたちにとっては、息を呑むような光景であったに違いありません。自分たちがどうしてこんな馬小屋に連れてこられたのか、なぜこの親子がこんな馬小屋にいるのか、何もわからない中で、彼らはその赤ん坊の姿を見て喜びます。

イエス様は、その暗い汚い馬小屋の中で、人々に平和と喜びを与える生涯を始められたのでした。それがクリスマスでした。

■2020年9

「共にいる存在、カパティラン」理事 山﨑常城

「わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」(ヨシュア記1・9)

新型コロナウィルスの感染拡大で私の生活は大きく変わりました。緊急事態宣言中は毎日何をしようかと、パソコンで動画を見たり、読書をしたり、料理をしたり、新しい環境に戸惑ってばかりいました。緊急事態宣言が明けても、生活はそれほど変わることはありませんでした。会社の売上は思ったより回復せず、今年度の業績は前年比25%程度予想のまさにコロナショックと表現するにふさわしい状況です。さらに、来年には元通りになる保証もなく、将来を考えると不安で絶望してもおかしくないのかもしれません。しかし、私はうろたえても、おののいてもいません。それはなぜでしょうか。40代も半ばを過ぎ、いろいろな経験から学んでいること、多少のたくわえがあること、助けてくれる家族がいること、などももちろんあると思いますが、一番大きいのは信仰を持っていることだと思います。「主は共にいる」どんな状況でも一人ではなく、共にいてくれる絶対的な存在があるということは心強いものです。

学生たちはどうでしょうか。学校は再開したといっても、完全にオンラインだけで実際には登校しなかったり、登校はしてもマスク・ソーシャルディスタンス・密を避けるなど様々な制限があったり、大変厳しいものだと思います。経済面では、保護者の収入が減少したり学生自身のアルバイト収入も減ったり無くなったり、不安なことがたくさんある毎日を過ごしている人が多くいます。

私たちカパティランは、給付型の奨学金と月に一度学生たちと食事を共にする「ごはん会」で、学生たちを経済面でも心の面でもサポートしています。今年は密を避けるためごはん会は一時休止していましたが、オンラインでのZOOMごはん会を実施し始めるなど、試行錯誤で活動を続けています。

また今期の奨学金需給は、例年通り定員12名で募集しましたが、大きく上回る19名からのご応募がありました。そこで本紙も臨時号を発行し、皆さまにご支援をお願いした結果、多くの方より多額のご支援をいただくことができました。その分を拠出することで、今期に限り定員が14名(高校生6名、大学生8名)に増員していることをこの場を借りてご報告いたします。

みなさまも厳しい状況とは思いますが、これからも引き続きカパティランをご支援いただけますと幸いです。

 

■2020年3

「私たちには見えていない複雑な世界」理事長 牧野兼三

「万が一、国に何か問題が生じて、これからもし誰かを排除していこうとなった時には、私はおそらく排除される立場になる。大事にされないと思います。」

2月の初旬、カパティランは「ニッポン複雑紀行」の写真展にお招きいただきました。新宿の小さなギャラリーで行われた写真展、壁にぐるりと貼り巡られた写真とコメントは、そのすべてがこの国に住む海外にルーツを持つ人たちのものです。冒頭のショッキングな一文は、9歳の時に日本に移住し、もう20年以上日本で看護師として働く中国にルーツを持つ女性のコメントです。彼女はほぼ日本で育っていますが、仕事や生活を通じて、日本人の外国人に対する不寛容さを感じずにはいられないと語っています。このことは、最近カパティランで起きた出来事を思い起こさせました。

フィリピンルーツの大学生が、大学から「学費免除が打ち切りなるかもしれない」と伝えられ、ちょっとしたパニックに陥ったのです。冷静に話を聞くと授業とバイトばかりの毎日で、学校で十分な人間関係を築けていないこと、日本語が十分に話せない母や兄弟の世話、弟のキャンプ代の負担など家計を支えているプレッシャーなど背負っているものが多すぎ、相談相手もなく、孤立し心が押し潰れそうになっているようでした。

結果的に彼女は十分な成績も取れており、「学費免除の打ち切り」は大学側の間違いで、学費免除で進級できることになったのですが、彼女の心の中のどこかに自分自身のアイデンティティに対する不安のようなものがあったことが原因ではないかと感じています。

前述の中国にルーツを持つ女性が感じつづけているアイデンティティに対する不安を、カパティランの若者達が、これからずっと持ち続けるのかと想像すると心が痛みます。そうしたひとつひとつがとても複雑で、目に見えない問題を抱えた若者たちに寄り添うことで、少しでも力になりたいというのがカパティランの願いです。

彼らの居場所を作り、就学を支援し、自身のアイデンティティに自信をつけさせるためのカパティランの活動に、今後ともご支援をよろしくお願いします。

■2019年12

クリスマスの出来事」 理事 司祭マリア・グレイス笹森田鶴

聖書に書かれているクリスマスの物語は決して誰もがうらやましがるような幸せを絵に描いた情景ではありませんでした。ヨセフとの婚約中にマリアが妊娠していることが分かります。それは明らかにヨセフの子供ではありませんでした。神殿の掟に従って、そのような女性は石打の刑を受けなければなりません。これから新しい生活を築こうとしている若い二人にとって、それはもう信頼が足元から崩れ、大混乱を極める出来事であり、絶望と悲嘆に暮れていたことでしょう。

ヨセフは常識的な人物でしたので、マリアのことを表沙汰にし、破談にしてもおかしくありませんでした。しかし、なぜかヨセフは常識を破ってマリアをそのまま受け止め、自分の妻として迎え、何とか新しい生活を始めようとします。

そのような二人にさらに追い打ちがかかります。それは時の権力者の命令により、生活基盤を離れさせられ、身重のマリアと別の街へと移動を余儀なくされるのです。移動先では安定した宿泊場所もなかなか見つからず、ようやくたどり着いた所でマリアは産気づき、はじめての子を出産します。どれほど心細く、頼りない思いをしたことでしょうか。そしてその乳飲み子が、なぜか時の権力者に命を狙われていることをヨセフは知り、外国であるエジプトに移住しなければならなくなります。もはや二人の想像もつかないような困難や苦しみが、次から次と襲ってきます。この短い期間でさえこれほどの出来事なのです。これからの生涯がどのようになるのか、若い二人は計り知れない不安の渦の中にいました。これが、クリスマスの出来事でした。

しかし、そのような二人にこそ神が目を留めてくださり、守り導き、具体的な救いの手段を尽くしてくださることを、聖書は大切なメッセージとして伝えています。だからこそ、世界中の悲しみと痛みと困難の中にある人びとにとって、クリスマスの物語は希望の物語となっているのです。

 

 

■2019年10

「アイデンティティーの深まり」 理事 司祭神﨑雄二

 今年の8月にカパティランの仲間6人で、フィリピンのルソン島北部カリンガ州バルバラサン村に行った。今回は途中まで飛行機を用いたが、もしマニラからバスを乗り継いで行けば、20時間以上かかる山岳地域である。朝夕はとても涼しく、長袖の服なしでは過ごしにくい。
村の中心に聖公会の教会がある。その隣には教会によって設立されたハイスクールがあり、近隣の村々から来て村に下宿している者を含めると130人もの生徒数になる。このハイスクールの歴史のゆえに、村人は誰もが堪能な英語を話す。しかしそのほとんどは、農民である。8月は米の刈入れや天日干し等で忙しかったにもかかわらず、私たち一人びとり、異なった家族に迎え入れられた。そこで私たちは全く自然に、深く愛され、受け入れられたのである。何年か前に行った学生は、「親に愛されるよりも深い愛情を体験しました」と言ったことが思い起こされる。
今回行った学生の中に、フィリピン人を母とする女性がいた。彼女の目は大きく、つぶらで、その風貌はお母さん似と言える。しかし一般的に言って日本社会では、母親がフィリピン人であることのゆえに、差別的な対応を受けることが多い。したがって、そういう背景を隠して生活することが多い。ところがある日バルバラサンの村人が、彼女の風貌を見て「あなたはフィリピン人そのものだね」と、好意的に言ったのである。その言葉を聞いた時の印象を彼女はこう言った。「その時、誇りに思いました。」
村人に受け入れられ愛される日々の中で、自分がフィリピン人の背景を持つことが、誇りに思えるとは、なんと素敵なことだろう。
バルバラサンでの日々を終え、帰国のためにマニラに立ち寄った時、彼女の祖母といとこが、会いに来てくださった。お二人と会い、彼女は泣いた。安堵感と、無条件で受け入れられていることを再確認し、涙が止まらなかったのだと思う。彼女のアイデンティティーの深まりを見た思いがした。

 

■2019年6

「奨学金返済と自己破産」 理事 山田修司

最近では、学生の4割から5割が奨学金を利用しているとのこと。その原因としては、親世代の所得の低下による仕送り額の減少や、学費の値上げなどだそうです。

日本の奨学金は、給付型の奨学金は少なく、基本的には貸与型であり、さらに多くの方は利息付きで借りています。そのため、就職後その返済をしていかなければなりません。しかし、様々な理由で返済が滞る場合があります。

例えば、労働環境が悪くてパワハラなどを受けていたが、奨学金の返済のために職を変える余裕がなく、頑張り続けて心と体が壊れてしまい、結局返済が滞ってしまった場合などがあります。借金問題は自己責任と言われがちですが、その様な場合、決してそうではないと思います。

滞納した奨学金の法的解決は、ほぼ自己破産を申し立てることになりますが、自己破産するにも相当な費用が掛かる場合もあり、また、奨学金は、親が連帯保証人になっている場合が多く、本人が自己破産をしたら親も自己破産に追い込まれる可能性が高くなっており、返済する奨学金の滞納の代償が非常に大きくなっています。

このように、利息付きでお金を貸して、返済が滞ると厳しい取り立てをして、本人だけでなく連帯保証人の親まで破産したり、別の保証人にはその責任以上の金額を請求したりするのは単なる金融機関の融資と同じで、その様な行為は奨学金の制度趣旨に反すると思います。

日本は教育費の私費負担率が最も高い国の一つだそうで、教育費の負担のない国になるまでは、もうしばらく時間がかかると思います。それまでは給付型の奨学金制度は重要な役割を担うことになります。カパティランも少しでも奨学金制度の役に立てればと考えていますので、皆さま、引き続きご協力よろしくお願いします。

■2019年3月

「多文化共生の世界にあって」 理事長 牧野兼三

2019年3月15日、ニュージーランドで起きたモスク襲撃事件は、実に50人が殺害されるという大変痛ましい事件となりました。犠牲者のうち、少なくとも28人は外国の出身者であることが確認されています。彼らは南アジア、中東からの移民たちで、自らの信仰を大切にし、安息日の礼拝に集った寄留者でした。

犯行の背景には移民問題があります。そして、現在の世界のいたるところで移民問題が大きな課題となり、各国の人種問題,労働問題などに大きな影響を与えています。日本においても「外国人労働者の受け入れ拡大」という名の移民政策が進められることで、今後外国人労働者の数は更に増え、新たな社会問題となっていくでしょう。

カパティランが支援する若者たちは、フィリピン、ベトナム、ペルー、ブラジルをはじめ、そのルーツは様々です。様々なバックグラウンドを持つ若者たちが月に一度の「ごはん会」で囲む食卓は、数年後の日本社会の縮図にも見えてきます。

そこには多くの発見があります。当然のことながら、若者それぞれに様々な個性があります。母国の料理の話になると、食べたことのなかった料理が多くあり驚かされます。そして、何より多様性に溢れたごはん会が、若者たちにとって大変心地よい時間になっています。

マリナーズのイチロー選手が引退会見で、孤独についてこんな発言をされました。

「アメリカに来て、外国人になったこと、アメリカでは僕は外国人ですが、外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れてきましたね。」

カパティランが、これからも常に寛容の心を持ち続け、この国で小さくされ、孤独を感じている若者たちにとって、いつも共にあり、時に一息つける止まり木となり、時には力づける栄養剤となれるよう、今後も力を尽くしてまいります。みなさまの引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。

■2019年2月

「多文化共生ホームステイご支援のお願い」 理事長 牧野兼三

「自分の親にすら愛されなかった私を、一体誰が愛してくれるのでしょうか?」カパティランに連なる、当時大学生だった若者の心の叫びを、私は今も忘れられずにいます。自分自身の存在意義に確信が持てない人生が、どれだけ孤独で、希望のないものか、皆さんは想像することができるでしょうか。

カパティランが支援する海外にルーツを持つ若者たちは、多くの場合こうしたアイデンティティ・クライシスという課題を抱えています。アイデンティティ・クライシスとは、「自分は何者なのか」「自分にはこの社会で生きていく価値があるのか」という疑問にぶつかり、自信を失い心理的な危機状況に陥ることを指しています。
そうした「自分に自信を持てない」若者たちは、決して性質や能力の何かが劣っている訳ではありません。ただ、経験を通じた自信を築けていないのです。幼少期から学生時代にかけての親子関係や、友人関係の中で、心の交流、喜びや悲しみの分かち合いを十分に経験できていないことが問題の原因です。
アイデンティティの確立には、人間関係を通して自分自身を見つめ直す機会の継続と、それによって自己理解と社会性を身につけることが必要ですが、彼らにはその経験が不足しているのです。

多文化共生ホームステイは、そうした若者たちが、一人の人間としてありのままの状態で、言葉も文化も異なる異国の生活環境で過ごす2週間のプログラムです。ホームステイは、フィリピン・ルソン島北部の山村にある川沿いの小さな集落で行われます。村の中心には聖公会の聖パウロ教会と中高一貫の小さな学校があります。そこには水道も電気も電話もインターネットもなく、あるのは村に暮らす人々、ホームステイ先の家族、そして同世代の生徒たちとのかかわりだけです。しかし孤独ではありません。素朴だがとても温かい家庭での食事や生活、地元の生徒たちと共に過ごす、学習、祈り、ボランティアワークの時間など、心の交流を通し、自分を表現し、人を理解し、お互いを愛する経験を持つ。それによって、若者たちが自分自身を見つめ直し、これまで未成熟だったアイデンティティ確立のきっかけを作ります。

2019年の夏、カパティランは、この多文化共生ホームステイに、公募で選ばれる高校生から大学生の5人の若者を連れていきたいと考えています。この計画には、すでに世界的なエキュメニカル団体である「リーストコインの交わり国際委員会」よりご支援を頂けることとなっています。ただ、計画の実現にはまだ資金が足りません。みなさまの活動に対するご理解とご支援をよろしくお願いいたします。

■2018年12月 

「愛と交わりが伴うとき」 理事 司祭ヨハネ神﨑雄二

今年の6・7月にフィリピンの各地を巡った。およそ40年前から最近までの間に20人近く、神学生や医学生あるいは教育学部の学生たちを、日本の教会ぐるみで、あるいは個人で経済的に支えて来た。今回その奨学生たちの幾人かが生きている現場を訪問したのである。
マニラから始め、南に下がり、パラワン島、パナイ島、ロンブロン島などを訪問したが、そのどこにあっても、彼ら・彼女たちは、皆立派な働きをしていた。

生まれ育ったスラムに今でも在住しながら、小学校の先生をもう10数年続け、今では30人ほどもいる大家族全体の心の柱になっているケネス。その家族と共に夕食を食べたことは、忘れられない思い出になった。また神学校の学費・寮費が支払えず、もう郷里に帰って農業をするしかないと嘆いていたジョビーが、今でではパラワン教区の主教として活躍しているのも感動だった。パナイ島西部のアンティーケ州でいくつもの教会を司牧しているデオレート司祭、マニラで緊急病院の医師をしているカムロ、ロンブロン島で、初の女性司祭として活躍しているジェリーン、、、。

そんな元奨学生が、フィリピン各地に広がっている。日本からの奨学金がなければ、現在の彼らの働きは実現しなかったのではないか。奨学金は、愛と交わりが伴うとき、実に大きな働きとなる。カパティランの奨学生たちも、大きく成長していくことを心から願っている。

 

■2019年9月 

「2018年夏、野尻湖」 理事長 牧野兼三

今年で5年目を迎えたカパティランの野尻湖キャンプ。海外にルーツを持つ若者たち5名が参加した。毎年利用させてもらっている国際村の神﨑雄二司祭のコテージで、共に食卓を囲み、祈り、語り、笑い、泳ぎ、漕ぎ、読み、温泉に入り過ごした。キャンプのルールは、食事の準備と片付け以外は特にプログラムを決めず、各自が好きなことをして過ごせるということ。雄大な自然の中、自由に時間を過ごし、皆が無邪気に笑う。徐々に心がほぐれていき、一人一人がぽつりぽつりと話し出す。

Jさんは、定時制高校3年生の女の子。両親は離婚し、父親とはしばらく会っていない。小学校5年の時に、日本で教育を受けるため、母親と二人で来日。英語が得意でTOEICのスコアは930点。普段は家計を支えるため、スーパーのバイトで忙しい。少し引っ込み思案でアピールするのがちょっと苦手。受験を控えており、先生や友だちはもっと上を目指せという。ただ今年はまだ小学生の弟も来日予定で、どうしても家計のことが気になってしまう。もっと上のレベルの大学にも行ける実力はあるが、本人は特待生として授業料免除で迎えてくれる女子大に魅力を感じている。「やはり授業料がかからないというのは大きいですよ。」とはにかむ。

H君は社会人2年目の19歳。4人兄弟の長男。初めてキャンプに参加した5年前は「家計を助けるため、高校を出て消防士になる」と希望に燃えていた。ところが「君は日本国籍ではないので公務員にはなれないよ。」たった一つの事実が夢を消し去ってしまう。まずは定職につき、納税し、日本国籍を取ることが当面の目標。千葉の田舎町の鍛造(たんぞう:鉄を打つ)工場で働いている。作業場内の気温は45度以上。これまで二度ほど気を失ない倒れた。体力勝負なのでメシはいくらでも食べられる。自分の腕に吹いた塩を舐めて熱中症を防ぐ。今年は小学生の弟も連れてくることができた。父親代わりに水泳を教える。自分には大切な弟や妹がいる、日本国籍を取り公務員になるという夢もある。だから頑張っていけると胸を張った。

Eさんはこの春大学を卒業し、東京郊外の児童養護施設に勤務する社会人一年生。担任は未就学児クラス。23歳にして大勢の母親のような役割。覚悟はしていたが決して楽な仕事ではない。中でも14時から翌日14時までの宿直勤務が眠れず長時間で辛い。子供たちに食べさせるため、自分は飲み込むように食事をする癖がついてしまった。離職率も高いが、今はがむしゃらにやるしかない。フィリピン人の母親とは最近初めて一緒にカラオケに行った。お母さんは歌に合わせてずっと踊っていておかしかった。就職を機に、離別している父親に連絡を取ってみたが、反応はイマイチだった。もう新しい生活が始まっているのかもしれない。最終日、長野で就職している彼氏が迎えに来てくれた。ずっと神﨑先生に会わせたかったので本当によかったと笑った。

カパティランの若者たち。皆それぞれ、様々な辛いこと、困難に向き合いながらも、希望を忘れずに生きている。来年はどんな話が聞けるのだろう。

「また来年!」都心のターミナル駅、皆それぞれ別の方向に別れた。

 

■2018年7月

「給付型奨学金への思い」 理事 鈴木幸夫

カパティランは、奨学金事業を開始した2015年10月から今年3月までに、大学生7名と高校生5名に対し総額318万円の奨学金を支給した。今年度は大学生5名(加えて下半期のみ1名)、高校生4名に180万円を支給する。お金のないカパティランにとって、これは大変な事業である。

奨学金を検討し始めたころ「貸与型でもよいのでは」という意見もあったが、給付型に踏み切った。経済格差が拡大し続ける日本で、奨学金という名の借金が学生の将来を暗くする状況が深刻さを増しているからだ。

その少し前、「司法試験に合格しても借りた奨学金が返せず自己破産に追い込まれ、法律家になれない」という嘘のような話を若い弁護士から聞いた。司法修習生(司法試験に合格し、弁護士や裁判官、検事になるために必要な実務研修制度)への生活給費が2011年に廃止されたからだ。1年間「無給」生活を強いられ、さらに借金がかさみそんな状況に陥る人が多発しかねないという。

事実、日本学生支援機構(旧日本育英会)によると奨学金が返せずに自己破産する人は年間3千人以上で、その数は増加傾向にある。

学生生活にはお金がかかる。高度な教育を受けるにはもっとお金がかかる。頑張って卒業し、公務員や正社員になれたとしても、数百万円~千万円近い奨学金返済を抱え、自分のやりたいこともできず、最悪、自己破産にまで追い込まれる。弁護士や裁判官や検事になるあと一歩の学生にもこんな状態の人がいるならば、他は推して知るべし。これが日本の現実なのだ。(この弁護士らの運動もあり「給費制」は去年4月に復活したが、以前の水準には及ばない。)

これらを「極端な例」と思わないでほしい。カパティラン奨学生は貸与型奨学金や教育ローンを背負いながら、アルバイトと学業を両立させるため必死で頑張っている。われわれの奨学金は、その重荷をほんの少し軽くできるかどうかのささやかなものだ。

勿論その奨学金原資は、支援者の皆様が額に汗し、お小遣いや生活費を節約し、神様に献げるのと同じ気持ちで下さった、尊く豊かな愛情に満ちたお金だ。こうした皆様の思いを一人一人の奨学生にしっかりと伝え、感謝と誇りをもって学業に打ち込んでもらう。これが、カパティランの大きな課題である。

 

■2018年5月

「学校に行くことはお金が掛かる」 理事 司祭マリア・グレイス笹森田鶴

日本での高校進学率は現在98%となっています。また、高校卒業後の進路についても約70%が学業を選択し、就職率は16%弱です。つまり日本に住んでいる子どもたちの半数以上が、成人式を迎えるまでは学校に行っているということになります。そして、学校に行くということは、入学金、授業料の他に、制服、教科書や文具、遠足などの学校行事、修学旅行や卒業に関わる積立金、部活をすればその費用が必要です。友だちと少し遊んだりするにしてもこの社会ではお金が必要です。学校に行くということにはお金がとにかく掛かるのです。

親が低収入であったために、わたしは高校の時から奨学金の申請とアルバイトの経験をし続けていました。大学と大学院は親元を離れたために生活費も自力で獲得しなければなりませんでしたので、短期長期のいくつもの奨学金をいただき、授業と授業の合間も含めたアルバイトの掛け持ちをしていました。ただそれは、大学では祖母の家に下宿していたこと、無利子の奨学金をいただけたこと、バブル経済真っ只中であったので条件の良いアルバイトがあったこと、当時の学費が現在の物価に比べて安価だったこと、さらに傍目よりも体が丈夫だったこと、それらの要因よって何とか成り立ったことでした。卒業時の奨学金の総額は驚くべき金額になっていましたが、毎月少しずつ返済し、働き始めてから20年後にようやく全額返済できました。それでも奨学金があったことによってわたしは学業を続けることができ、今の仕事にもつながっていることをとても有難かったと思っています。

社会の仕組みが影響して学費が高額になったり、経済状況の厳しい家庭が増えてこどもたちの学びの機会が減少していたりするならば、こどもたちを支える仕組みを考え、実行していくことが必要であろうと考えます。カパティランでは高校生、大学生向けの奨学金支給制度があります。金額は小さいかも知れませんが、こども一人の将来を支える大きな支援であると考えています。ぜひご協力をお願いいたします。

 

■2018年3月 

巣立ち

今春カパティランから巣立つ、海外にルーツを持つ女子大生の話です。

幼い頃から父親と兄からのDVから逃れるために、フィリピン人のお母さんと弟と東京の郊外の団地を転々とする生活。ようやく平穏かと思ったら今度は弟がDVで更生施設に。お母さんも家にこもりっきり。

そんな厳しい生活環境においても、彼女は希望を失わず、幼稚園の先生という夢を叶えるため、大学に進学します。昼間は学校、夕方からは宅配寿司のバイトリーダーとして寿司を握り、奨学金で完全自活。

カパティランで最初に出会った頃、彼女は「私は日本人です。」と硬い表情で話しました。「フィリピンもフィリピン人も好きではない。」とも。ごはん会に参加するようになり、少しずつ彼女は変わっていきます。周りはみな同じような境遇の子供たち。何か得意料理を作ってくれる?とお願いすると、彼女が提案したのはフィリピンの家庭料理アドボでした。お母さんにも手伝ってもらって。

みなさんのご支援のおかげで、月例ごはん会、夏の野尻湖キャンプ、教区フェスティバル(アドボが飛ぶように売れました!)、クリスマス。そして初めてのフィリピンでのフィールドワークでは親戚たちとも初対面。「次は言葉を勉強しないと」実にイキイキした表情で話す彼女は出会った頃とはまるで別人でした。
そんな彼女が選んだ職業は、児童養護施設の保育士さん。週末のごはん会で、こんな風に話してくれました。「私も施設に入る話もあったから、少しは子供たちの気持ちがわかるんじゃないかなって。」「ああしなさい、こうしなさいではなく、大きな気持ちで包みこむ感じの大人になりたい。」

みなさんの日頃のご支援に心から感謝いたします。

カパティラン 理事長 牧野兼三

 

 

■2017年12月 

「2017年のクリスマスキャロル」 理事長 牧野兼三

最近うかがった話。世界的な投資銀行にお勤めの男性Aさんは、勤続30年のうち28年間ご自身が同性愛者であることを職場でカムアウト(公言)することができなかったそうです。

この数年「LGBT(性的少数派)」に対する社会の関心と理解が急速に高まり、Aさんの職場でもLGBT理解のための啓発活動が始まります。Aさんはその活動をサポートする中で「実は私も当事者です。」と2年前にカムアウトしました。

それ以降、Aさんは職場での評価は大きく変わったそうです。それまではどちらかというと組織の片隅にいたAさんが「顔が晴れて、肩が上がった」のだそうです。具体的には積極性とリーダーシップが向上したということでした。

Aさんは自分自身を肯定することができ、そのことを気兼ねなく発言でき、本来の自分を安心してさらけ出せることで、それまでの人生を大きく変えたのでした。

カパティランが寄り添っている子どもたちの環境は、このAさんに似ています。外国人労働者100万人時代と言われる昨今、海外にルーツを持つ子供たちの数は年々増え続けています。故郷から遠く離れた異国の島国で、言葉も十分にわからず、友達もいなければ、勉強にもついていけない。たいていは母子家庭で、経済的基盤も弱く、不安定な家庭環境。自分自身が何者であるかに確信が持てず、当然自信もない、でも寄り添える人もなく、孤独な目をして心を閉ざしている。

そうした子供たちは、社会の隅にいて、そこにいるのにまるでいないかのように扱われています。そこに忍びよる非行や犯罪への誘惑。近年、少年犯罪に外国籍の子どもたちが目立つのは私の先入観のせいではないと思います。

そんな子どもたちに一番必要なのは、まず自分自身のアイデンティティを確立すること。自分のルーツを知り、それに誇りを持つこと。そして、自分は決して見捨てられた存在ではない、ここにいていいのだと安心できる居場所を作ること。

カパティランは子どもたちの居場所つくりのために、月に一度ごはん会を開催しています。皆でメニューを決め、買い物に行き、キッチンに立ち、食卓を囲みます。それだけです。でもそれはとても大切なこと。一方で、高校生、大学生を対象に奨学金給付を行っています。「人生に必要なものは、勇気と想像力、そしてほんの少しのお金」だからです。子どもたちはその少しのお金で勉強や部活を続けています。

ディケンズの代表作「クリスマスキャロル」。クリスマスを毛嫌いする冷酷で守銭奴のスクルージ爺さんが、3人の精霊に彼自身の「過去」「現在」「未来」に導かれます。「過去」では少年時代を目の当たりにし、かつては貧しくとも純粋で希望に溢れていた自分自身を思い起こします。そして「現在」では、彼が忌み嫌う市井の貧しくとも慎ましく生きる人々のクリスマスの団らんが、いかに喜びに溢れ、気高いものでえあるかを見せられます。そして「未来」においては、誰からも関心を持たれず、世の中から忘れ去られ、居場所を失い、一人孤独に死んでいく彼自身を見るのです。

そして、スクルージは大きく変貌します。良き父、良き友、良き商売相手、良き先達となり、ロンドンで知らない人はいないくらいの好人物となるのです。人はそんな彼を笑いましたが、彼の心はそれ以上に笑っていたのでした。

2017年のクリスマスキャロル。今年皆さんは何を思って歌うのでしょうか。

「この世に価値のない人などいない。人は誰でも、誰かの重荷を軽くしてあげることができるから。」ディケンズの言葉です。

もしかすると、スクルージ爺さんのようにあなたの人生に大きな変化が起きるかもしれません。そして心を閉ざした子供たちの未来にも。みなさん、良いクリスマスを。

■2017年6月 

「カパティランの根」 理事 司祭ヨハネ神﨑雄二

私の教会に初めてフィリピンの女性たちが来たのは、1980年代の中頃だったと思う。彼女たちは20歳前後の歳で、フィリピンバーのエンターテイナーとして働いていた。毎月1~2回ほど教会に来るようになったが、12月に入れば一日も休みがなく、クリスマスの頃は、ほとほと疲れ切っていた。しかし「どうしてもクリスマスのミサには出たい」と言うので、夜の仕事が終わった後に、特別に彼女たちのためにミサを行うことにした。

クリスマスの早朝4時に彼女たちの仕事が終わるというので、その時間に教会の若者に車を運転してもらい、店まで出迎えに行った。雪が降っていた。 店のお兄さんたちに挨拶をして、10人ほどを教会までつれて来ると、彼女たちは直ちに礼拝堂に入り、ひざまづき、十字を切って、祈りの体制に入った。何かピーンと張り詰めたような空気が漂った。

代祷のところでは、郷里の父母兄弟のためにも祈ったが、思わず一人が泣き始めると、それは皆に伝播するのだった。「主の平和」のところでは皆抱き合い、また涙を流した。ミサがどんなに大事なものであるか、改めて思い知らされた。

ミサが終わると、私が作った暖かいシチュウをみんなで食べた。その後彼女たちが一体どこで手に入れたのか、クリスマスの時期なのに花火を出してきて、教会のホールで花火を始め、走り回るのだった。私はバケツに水を入れて彼女たちの後を追っかけて回った。

彼女たちをアパートに見送った後、教会は、降る雪の音が聞こえるほど静かになった。そして今の今まで騒いでいたのは、「天使たちだった」と、ふと思うのだった。

カパティランの働きの根っこのところに、こうした体験の積み重ねがある。現代の日本社会の片隅で、懸命に生きている在日・対日外国人とその家族が、ホッと出来る場が、多くの方々や諸教会のお支えによって与えられていることを、心から感謝している。

 

■2016年7月

「カパティランの働きはつながる」 理事 牧野兼三

カパティランの活動が「海外にルーツを持つ子どもに対する、居場所作り、学習・教育・奨学支援事業」に舵をきってからやがて一年半。

私たちは月に一度の「ごはん会」を継続的に開催し続けることで、少しずつ子供たちとの絆を深めてきました。

「ごはん会」では、毎回集まった皆で買い出しに行き、作業を分担して、ごはんを作って一緒に食べます。事前に決めるのはメニューくらいで、特にテーマは設けず、一人ひとりが過ごしやすいこと、話しやすいことを大切にしています。そうするうちに、徐々に参加メンバーも増えてきて、今では奨学生の故郷の郷土料理や、バイトで覚えた握り寿司が振舞われたりすることもあったりします。

そして5月の連休明け、カパティランにとっての初の催し、デイキャンプで長瀞渓谷に出かけることになりました。

実はこの長瀞渓谷、奨学生であるペルーにルーツを持つJ君の強い勧めによって決定したのでした。彼曰く、「埼玉に家族で大切にしている素晴らしい渓谷がある」のだと。

早朝に東京で集合し、車に便乗してお昼頃には長瀞渓谷に。現地に着いてみると、そこには満面の笑みをたたえたペルーからの移民Pさんご一家が「お待ちしていました!」

Pさんご一家は10年前に来日し、ご夫婦に子供は大学生のJ君を筆頭に男の子4人の6人家族。
ご家族にお会いするのは初めてでしたが、慣れない異国で、日本語もままならない中、家族の絆を第一優先に逞しく生きる姿は実に素敵でした。

男の子4人に渓谷での遊び方を教えるお父さん。息子以上に元気満々で、川に飛び込めと息子たちをケシかけますが、結局は自分がいの一番に飛び込みます。このお父さんの明るさが、これまで移住という困難の中で家族を支えてきたのだと感じられました。

夕暮れまで豊かな自然の中で遊び、帰路に着く頃には、またひとつの大切なカパティラン(タガログ語で兄弟愛・姉妹愛)が生まれました。

現在カパティランが奨学金によって支援している学生のルーツは様々です。フィリピン、ベトナム、ウクライナ、そしてペルー。ごはん会には、アフリカ系の子供も参加しています。その皆が日本で暮らすマイノリティで、自身のアイデンティティの形成に何らかの課題を抱えています。

私たちはその課題の解決に微力ながら取り組んでいきます。

より実践的なものへと変化しつつあるカパティランの働きに対し、今後とも皆様のご支援、ご協力をよろしくお願いいたします。