神様の恵みを感じて ~大船渡ミッションを通じて~

//神様の恵みを感じて ~大船渡ミッションを通じて~

山々を越える最後のカーブをすぎ、バスは海岸線へと向かう。道が開けた。景色がかわる。それまでの青々としげった山景色から海岸の廃墟の光景へ。バスの両側から、息をのむ声、驚きの叫びが聞こえる。バスの両側には廃墟の光景がひろがっている。どこを見ても崩れ落ちた建物、家々、廃墟の光景。変わりはてた姿・・・これが大船渡だった。
そのとき、ヤコブの手紙4章14節のことばが私の脳裏をよぎった。「あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。」
直接、地震と津波の被害を受けた方にとって、まさしくこのとおりであろう。被災にあった方たちは、繰り返し、繰り返し、予測できないほどの大きなマグニチュードの地震におそわれ、全く予想しなかったこと、いかに準備ができていなかったかを語られていた。多くの方は、災害にそなえて必要な準備をし、津波から避難できるに十分な高いところに避難所を作り、安全に避難するための計画を立てており、大丈夫だと思っていた。しかし、実際はそうではなかった。
直接被害を受けなかったものは、今も、現在の自分の生活を考え、その考えのもとで暮らし続けていると人が多いと言っていいだろう。多くの人は、日々の生活に追われ、他人の痛みには無関心のように見える。しかし、より多くの人が、日本
でも外国でも、被災地、被災者支援の何らかの活動にかかわっている。
この短い旅で出会ったフィリピン人たちは、私たちに、かれらが災害から立ち直っている強い姿をみせてくれた。私たちは、災害を受けた地域のフィリピン人から、自ら災害を受けながらも、災害を受けた他の人々に手を差し伸べている、それも対等に手をさしのべている話を聞いた。不意に国籍や文化の壁が消え、より強い絆、共に災害にあったという絆で結ばれている。自らの家が崩れていても、家財が散逸していても、かれらの頭の上にひとつの屋根があれば、すべてを失った人とその屋根を分け合う。
特に、岩手、宮城、福島に住むフィリピン人は、そこに根をはって生活している人たちである。かれらは、共同体のメンバーであり、PTAをはじめとする地域グループのメンバーである。フィリピン文化に特徴的な拡大家族の考え方を持ち、町に住む年取った婦人、花屋を営む男性、婚姻血族や親戚たち(過去にどんな問題があったとしても)を家族と考える。
彼らは、生きていることにただ感謝し、元の生活を取り戻すために動き始めている。かれらの顔に微笑みが戻るのに時間はかからない。彼らの礼拝の中では、喜びの涙も悲しみの涙も流されるが、何よりも感謝の涙が流され、感謝の祈りがなされる。彼らが、体の回復のために必要な食料、衣服、避難所以上のものを求めていることは明らかである。精神的なもの、感情にかかわるもの、さらに霊的にいやされるものを求めているのである。
このことに、カパティランは、これからの何ヶ月間、おそらく来年も引き続き、心理・社会福祉の開発のためのフィリピン人ワーカーとともに、取り組んで行きたいと思う。すでに、一つのチームは仙台から帰ってきており、別のチームが丸森町に旅立つ準備をしている。
私は、重い気持ちで大船渡から帰ってきた。“こんなに多くの悲しみと悲痛をかかえているとき、あなたはどう対処するのか”“私になにができるか”“求められるものはあまりにも多い・・・”。その一方で、私は、かれらの微笑と、“ありがとう”“感謝”でしめくくられた彼らとの多くの会話を思い出していた。そのとき、悲しみと悲痛のただなかにあって、心の痛みと涙は神さまの愛であることに気づかされた。
今回の旅では、“助けるため”“仕え、奉仕をするため”ではなくむしろ、私が“支え助けられている”ことを実感した。これからの旅も、求められているから与えるのではなくむしろ、神の恵みを互いに分かち合い経験するために与えられた機会なのであろう。
確かに私たちの命はわずかの間現れてやがて消えていく霧にすぎません。
そのわずかの間に、あなたは何をしますか。
2011年6月11日