2010年 01月・02月

■聖公会なしには!? 

                            主教 加藤博道

                          日本聖公会東北教区主教

 2004年に福岡で行われた日韓聖公会宣教協働20周年記念大会の折、ほんの短く立ち話をした韓国の司祭に、「大田(テジョン)教区で分かち合いの家の働きをしている」と聞いた時から、テジョン教区と東北教区の関係が始まりました。その大会のうちに教区主教とも親しく話し、数ヵ月後には教区間での交流の話に至りました。そのテジョン教区のある記念式典に参加した折のこと、記念礼拝の後、テジョン教区主教と私たち、海外からのゲストは地域行政の責任者である道知事主宰の夕食会に招待されました。これだけでも日本では考えにくい話ですが、食前の挨拶の時、知事が言った言葉は今でも忘れません。「聖公会(ソンゴンフェ)なしには、地域社会が成り立ちません」。日本では想像できない言葉でした。実際、私たちはこの記念式典の前後に、テジョン教区のいくつかの社会宣教の働き、分かち合いの家を見学しました。大きな高齢者施設から、小規模なDVのシェルター、少年少女のための家などがあり、大半の教会に何らかの分かち合いの家が併設されているという印象でした。
 「聖公会なしには地域社会が成り立たない」。時々の言葉を心の中で反芻してみます。東北教区の場合は、6県、22教会に16幼稚園・1保育園があります。ある園は100年の歴史を持ち、初期には明らかに、その地域における幼児教育・保育の先駆的役割を担ったのです。行政より早い働きです。今日では大半の園は、誠実に努力しつつも、少子化と社会構造、状況の変化に対応できず、苦しんでいます。改めて教会と共に、歩む幼稚園の働きも社会宣教であるという視点を持ち得るか、という課題があるように思います。
 2008年末に公益法人法が改訂され、「公益性」とは不特定多数の人々の益に利すること、という国の判断が示されました。余りに既得権、特権が多過ぎる法人・団体が目に余るということでしょうが、宗教も「不特定多数の益に利しているか」という目で見られ、結論的には宗教は公益ではないということになるようです。日本において宗教は、「健全な」社会運営には、基本的には不必要と見られていると痛感します。行政に認めてもらいたいということが目的ではなく、しかしこの日本社会の中で、信仰の共同体(教会)であることと、地域社会の人々の必要に開かれていること、この両者の関係はますます難しく、そして重要であり続けるのだと思います。
 昨年11月から、テジョン教区から一人の司祭が、東北教区の働きに加わりました。任地である仙台の聖ペテロ伝道所は、東北教区では唯一、幼稚園・保育園以外の社会的な働き、「ひかりおもちゃ図書館」(自閉症の子どもたちと親の集い)があり、これからを楽しみにしています。
 カパティランの働きは、教会と人々の切実な声を結びつける働きの、大切なモデルでもあるように思います。新しい年を迎えました。関係者のお働きに、離れた地から、感謝と共に主の御祝福をお祈りいたします。


         ■私は韓国人であり、女です

司祭 ドミニカ 朴(パク)美(ミ)賢(ヒョン)

(東京教区 聖愛教会 協力司祭)

初めまして、私は9月から運営委員なりました。足りない者ですが、よろしくお願いします。足りない私が運営委員になったのはたぶん、私が日本で住む外国人であり、女だからだと思います。そうです。私は聖書の『カナンの女』(マタイ15:21~28)のように異邦人女です。そして、カナの女の娘のように、異邦人女として日本で生きて行くことに時々気が詰まります。「外国人入国審査で指紋採取と顔写真撮影」のようなことがそうです。
交通の発達により、過去とは違って、国と国、大陸と大陸を出入りする速度が速くなり、文化と文化との接触も頻繁になっています。最近の世界の関心である新型インフルエンザの例から見ても分かるように、昨日地球の裏側で起きた痛みと苦難は、今日私たちが住むこの国にも起きます。この観点から見ると、地球は一つの共同体であることが深く感じられます。このような時代に、「外国人入国審査で指紋採取と顔写真撮影」を要求することは気が詰まって言葉も出ないことです。それはまさに差別であり、人権侵害だと私は思います。そして、このように国が外国人を差別したり、犯罪者扱いをするから、外国人が日本で住むのは時々気が詰まります。日々の生活が苦しくなります。
私は今年4月から東京に住むことになりましたが、新しい生活を準備する時、いろいろなことがありました。この中の一つは、私の子どもの学校給食のために銀行の通帳を作る時起きました。銀行員は私を時々見ながら、私が持っていたお金の番号を書いた後、どこかに電話を掛けました。それが終わるとまた、別のところに電話を掛けて私について調べる様子でした。これは完全に泥棒扱いではないでしょうか。もし子どもの学校給食のための通帳でなければ、そのままやめたいと思いました。
こんなことが起きる度、私は気が詰まります。万一、この様な気が詰る現実に、私たち大人が口を開かないならば、私達の子どもが『悪霊』にひどく苦しめられることになると私は思います。「カナンの女の娘が悪霊にひどく苦しめられています」という叫びは、すぐ私たちの叫びになるはずです。いや、既に私たちは気が詰まってしまいました。すぐ、完全に魂がなくなるかも知れません。
 
ですから、
私が完全に魂がなくなる前に
私の息子が悪霊にひどく苦しめられる前に
悪霊にひどく苦しめられている多くの娘たちのために
イエス様に向かって叫びます。
「主よ、わたしを憐れんでください。」
 
旧約聖書の『レビ人の側女(そばめ)の物語』(士師記19:1-21:25)を見ると、沈黙は大きな暴力を呼ぶだけです。しかし『エフタの娘』の物語では、エフタの娘とその友だちは2ヶ月間共に涙の抵抗をしたことから「年に4日間、イスラエルの娘たちは、ギレアドの人エフタの娘の死を悼んで家を出るのである。」(士師記11:40)という、新しい伝統が生まれます。友と共に泣くということは大きな力を持っているのです。
ですから、私はイエス様に向かって叫びます。
「主よ、わたしを憐れんでください。」
そして、日本人が私の友であることを信じます。
友である日本人が私と共に泣きながらイエス様に叫ぶことを信じます。
そして、友と一緒に泣くことによって作られる新しい歴史、平和の歴史の実現を願います。
 


この文は2009年11月12日「外国人にとって住みやすい国は日本人にとっても住みやすい」という集まりで私が話したまとめです。
          
電話相談件数・相談内容 
<11月>168件
Top3 (1)DV 27  在留資格27 (3)子どもの親権・養育権17
<12月>230件
Top3 (1)在留資格31(2)子どもの親権・養育権21(3)DV11
ケースワーク/面談件数
<11月>ケースワーク8件・面談2件
<12月>ケースワーク3件・面談3件